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大阪高等裁判所 昭和49年(行コ)5号 判決 1975年3月06日

大阪市東住吉区西今川町三丁目五八番地

控訴人

正田信治

右訴訟代理人弁護士

香川公一

服部素明

大阪市東住吉区中野町一三三番地

被控訴人

東住吉税務署長

佐竹三千雄

右指定代理人検事

藤浦照生

同法務事務官

高見奨

同大蔵事務官

福島三郎

河本省三

筒井英夫

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

一  当事者の求める裁判

(一)  控訴人

原判決を取消す。

被控訴人が控訴人に対し昭和四〇年九月一四日付でした昭和三九年度分所得税の更正処分および過少申告加算税附課処分を取消す。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

(二)  被控訴人

主文同旨。

二  当時者双方の主張および証拠の提出、援用、認否

つぎのとおり追加するほか、原判決事実欄の記載を引用する。

(一)  控訴人の主張

従業員の食費一八八、〇〇〇円は雇人費八七万円の内に含まれていない。証人城口や水本の証言は非常にあいまいで、これを採用すること自体不可解なことであるが、仮にこれを採用するとすれば、少くとも初歩的な二つの矛盾につきあたる。

その一は、雇人費が現実支給分と食費分に分かれている場合には、その区分を明瞭にするために別記入方式がとられているのが通常であるのに、本件の場合にはそうなっていない。そのこと自体が食費分が雇人費の中に含められていないことを裏付けるものと言うことができる。しかるに、原判決は右の事実を無視して、控訴人の雇人費の中には食費分が含まれていると判断した。これは明らかに誤りである。

その二は、賞与を年間三ケ月分支給したことは当事者間に争いのない事実であるから、そのことから証人城口などが控訴人の収入支出を調査した際に、支出の項目につき従業員の食費分を看過したことが間接的に認定できるのに、原判決は右事実を無視した矛盾がある。すなわち、食費分を含ませた一ケ月分の給与額を夏期賞与分とし、冬期賞与分はその二倍とすることは全くおかしいのであって、食費分が含まれていないからこそ単純に現実支給分の整数倍に賞与分を認定しているのである。たとえば宗重保雄の給与分について検討すると、仮に、原判決の認定に沿って、城口らが調査の際に、現実支給分一四、〇〇〇円に食費分四、〇〇〇円を加算した額一八、〇〇〇円を給与分と計上したものと仮定すれば、賞与分については一四、〇〇〇円の三倍に当る四二、〇〇〇円を賞与分と認定するはずであって、なぜに一八、〇〇〇円の三倍の五四、〇〇〇円を本件の場合の賞与額と認定したのかと言う疑問につき当る。この疑問を解消するには、やはり調査時においては食費分に気づかず、現実支給分をその対象としているからこそ一八、〇〇〇円を単純に三倍して賞与額としたものであると考えるのが合理的常識的である。

当審証人宗重の証言中の現実に支給を受けた者自身の断言により控訴人主張の事実関係の真実性がはっきりした。そしてまた、当時の経済状勢から見て、控訴人の主張のように事実を認定しないと、従業員の月給自体が不当に低いものであり過ぎることも明らかになった。当審においては、以上の諸点に留意して、行政追従などと言うようなそしりを受けないように、適正な事実認定を望む。

(二)  被控訴人の主張

第一次的主張

被控訴人は第一審以来控訴人方の住込従業員は宗重保雄唯一人であって、しかも同人に対する給与は、控訴人の申立に基づいて控訴人主張通りの食費を含めた金額をその額と認定したものである。

この点に関し、控訴人は住込従業員は宗重のほかに三名いたかのように主張しているが、右主張に副う控訴人側証人は信愚性に乏しい。すなわち、控訴人本人の供述によると、「当時住込で中田さん、宗重さん、西川さん、山川さんの四名が居た。」(本人調書八丁目表最終行ないし八丁目裏三行目)「西川さんは三七年七月からずっと三九年度一杯住込みであった」とあり(同八丁目裏六行目ないし八行目)、証人正田スミエの証言によると、「宗重と山川と中田という三人の従業員については住込みであった。西川というのは住込みでなかったけれど三度の食事は出してやっておった。」とある。また証人宗重保雄の証言によると、「私と中田が住込みで、山川と西川は通って来ていたように記憶している。山川は時間の都合で泊ることはあると思います。」とある。(宗重保雄証人調書三丁目裏九行目ないし四丁目表二行目)。このように、四人の従業員が住込みであったか否かについて、右三名の供述はそれぞれ食い違いがある。

また、山川は昭和三八年四月から控訴人方従業員となっている(乙第八号証、宗重保雄証人調書三丁目裏二行目ないし三行目)が、そうすると宗重保雄は昭和四〇年三月退職まで少くとも二年間同じ職場で働いていたことになり、控訴人本人や正田正田スミエはそれ以上の期間山川と共同生活をしていたことになるわけであるが、このように長い期間同じ家に寝泊りしていた者らが、同じ家に寝泊りしていたか否かと言う基本的なことで三者三様に供述が異ると言うことは常識では全く考えられないことで、以上各証言が極めて信憑性に乏しいものであることを如実に示している。

第二次的主張

仮に控訴人方の住み込み従業員又は給食を受けていた従業員数が控訴人主張のとおりであったとしても、これら従業員に対する食費は控訴人が被控訴人に申立てた雇人費の中に含まれていたものである。

この点に関する原審における控訴人本人の供述、当審における宗重保雄の証言は信用できない。すなわち、(1)、既に述べたように、従業員四人が住み込みであったか否かそれ自体について控訴人側証人らや本人の供述がそれぞれ食い違っていること。(2)、控訴人は審査請求の段階において協議官城口健治に対して年間雇人費九三〇、〇〇〇円と申立てていること(控訴人本人の原審における供述調書一七丁表八行目ないし同裏一二行目もっとも被控訴人はそのうち従業員中田の一二月分の給料及び賞与の合計額六〇、〇〇〇円を否認した)、控訴人は原審本人尋問の終了に至るまで所得全額について主張することもなく、雇人費についても何ら争わなかったにもかかわらず、控訴人本人の尋問の行われた昭和四七年二月一日の期日の後に至って始めて食費に関する主張を行ったこと(昭和四七年九月二六日準備書面)、証人正田スミエは控訴人の妻であり、同宗重保雄はかって控訴人方に住込従業員として世話になったものであり、控訴人本人に有利な証言こそすれ、不利な証言をする可能性はなく、食費の点について口裏を合せる可能性も充分考えられる。

要するに、控訴人は、第一審の訴訟の推移に照らし、収入、経費の点につきもはや争う術もなくなった窮余の策として終結間際に至って俄かに食費の主張をするに至ったものに外ならない。

控訴人主張の雇人費八七〇、〇〇〇円が食費を含めたものであることは、本件審査請求の審理を担当した協議官である証人城口健治が原審において、「これは、請求人に聞いたときは住み込み食事価格を含めて、月、各人別にこうであると言うふうに、私は聞いたわけでございます。」と明確に証言していること(城口健治証人調書一〇丁目裏最終行ないし一一丁目表二行目)からしても明らかであり、また、当時の一般的な従業員の食費としては、一人一ケ月三、〇〇〇円が相当であったことは、証人水本惣二が原審において、「あの当時ですと、私らの慣行としましては、大体食費として一ケ月三、〇〇〇円見当を加算して計算していました。」と証言していること(水本惣二証人調書一六丁目表七行目ないし九行目)からも明らかである。なお控訴人本人の供述にも、「三、〇〇〇円と言うのは、これは米、おかずのことであって」(本人調書一一丁目裏八行目ないし九行目)と言うことであり、電気、ガス代等が別途光熱費で計上されている本件の場合、当時従業員の食費として税法に必要経費となるものは、一人あたり一ケ月三、〇〇〇円が相当である。

三  証拠関係

控訴人は当審証人宗重保雄の証言援用。

理由

当裁判所は、原判決と同様に、控訴人の請求を失当として棄却すべきものと判断するものであるが、その理由はつぎのとおり追加するほか、原判決理由欄の記載と同一であるので、これを引用する。

雇主が雇人に食事、宿舎等を支給する場合に、これら雇人の名目給料額を、食事、宿舎等を支給されない雇人のそれと同様に、食費、宿舎費等を差引かない額をもって定め、実際に給料を支給する際に右食費等を差引いて支給する方法は、世上一般に行われている給料の決定、その支給の方法である。これに反して、食費等を含まない額を名目給料額と定め、雇人に対する食事、宿舎は無償で供与する方式は、徒弟制度下の小企業や小規模農業などのような非近代的経営形態の企業の雇用関係のみに適応する制度であって、今日では特殊な業態の限られた範囲の業域に稀に見られる例外的な給与方式となっている。殊に徒弟制度消滅後の商工業のように近代的経営形態を採用しなければ競争に打勝って企業を維持存続することが困難な業域では、経営主脳から肉体労働までの一切の企業労務が家族、親族、知己等の労力のみで構成されているような場合を除いて、たとえ小人数を雇用するに過ぎない小規模のものであっても、雇人を雇用しその雇人に日々の食事等を支給したときには、近代的企業経営に不可な収支損益の明確な把握記帳、労働対策、税金対策の必要上、帳簿上の名目給料額は食費等を含めた額をもって定め、実際の支給の際には、名目給料額から右食費等を差引いた残額を支給するのが通例であって、これらの事情は商工業に従業している者の間では周知の事実である。

本件の場合、前掲の各証拠(原判決が事実認定に用いた各証拠)によると、控訴人の経営する婦人用皮ハンドバック類製造業は、本件課税年度当時、小規模ではあったが、その雇人らの多くは控訴人と親族関係のない通常の雇人で、徒弟奉公の弟子に類するものでなかったこと明白であるから、仮に控訴人が当時雇人に食事を支給していたとすれば、少くとも帳簿上は、その雇人の名目給料額は食費を含めた額をもって定められ、実際の支給の際に食費を差引いて給料が支払われていたと認めるのが相当であって、右認定に反する原審における控訴人本人尋問の結果、当審における証人宗重保雄の証言は措信し難く、そのほかに右認定を覆すに足りる証拠はない。右事実とさきに認定した該当部分(原判決理由四、3、)を総合すると、控訴人のいわゆる雇人費八七万円は各従業員の食費分を含んだ当時の給与額に当ること明白である。

以上の理由により、控訴人の請求を棄却した原判決は相当で、本件控訴は失当として棄却すべきものであるから、民訴法三八五条、八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 長瀬清澄 裁判官 岡部重信 裁判官 小北陽三)

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